これまでの経緯を少々紹介させて頂きます。

幼年時代:

アメリカ生まれのアメリカ育ちで英語をネーティブに喋れる私は米国で葛藤なく暮して来たと思われるかも知れません。でも、移民者の子として育った故、主流の米国社会に住んでいたにも関わらず、育ったのは日本の家庭でした。両親から指導を受けたのは結局日本人としての躾であり、アメリカ人としてどう振る舞えばいいのかについての教えはありませんでした。文化の違いに気づいていなかった学校や教会の先生はアメリカ人の生き方を私に教える必要があると思い付かなかったのだと思います。普通、親が子供に教える礼儀、躾などどの文化でも同じだと思われたのでしょう。その為、期待される態度や行動をし損なって、しばしば怒られたりバカ呼ばわりされたりしていました。このような嫌な目に会うのを少しでも減らす対策として、子供の私に思いついたのは極力日本人らしさを隠し、なるべく目立たないようにすることでした。私が経験したいじめは今日の小中高生が(日本でもアメリカでも)被るイジメに比べてはるかに軽いものだったことを感謝する反面、今虐められている子供達の窮状に胸が打たれます。

家庭に戻っても安心出来ませんでした。移民者のストレスの所為か、父はよく母や私に辛く当たりました。弟は男の子として少しは楽だったのかも知れませんが、心が優しいため彼も相当苦しんだと思います。母は大学の教師としての仕事にも力を入れていましたが、やはり人種差別に加えて性差別をも受けたことにより家庭内での緊張は相当なものでした。子供の頃のことはあまり覚えていません。覚えていたくないことが多く、あまり嬉しい時ではありませんでしたから。

教会に通う:

小学校時代から弟も私も教会に通わせられました。アメリカの社会により上手く馴染めるだろうと母は思ったらしいのですが、疎ましい経験でした。九つの時に夏休みに日本に行ってお寺や神社を見物したと、ある教会の先生に話したら、偶像を拝むのをやめろ、さもなければ地獄に落とされると叱られました。見物するのと拝むのとは違うと言おうとしたら、ヨハネによる福音書第14章6節を引用し、まるでイエス様は「私は白人の道であり、白人の真理であり、白人の命であり、誰も白人らしくしなければ神の身元に行く事はできない」と仰ったと言う解釈を押し付けられました。その件以外にも「イエスはあなたの罪を許すために亡くなったのだから、罪を悔いれば死んだ後に天国に行ける」という教えは全くピンとこなかったのです。小学生の私は死んだ後のことなんか全然考えていませんでした。それより、この人生をどう生きて行けば良いのかを悩んでいました。

母からは何らかの形で他人の苦しみを減らす努力に一身を捧げる事は良い目標だと教わったが、苦しんでいる人があまりにも大勢いると言う事実と向き合っていかに絶望しないで生きていけるのかは教えて貰えませんでした。もちろん、自分が絶望している、とはっきり見分けられた訳でもありませんでしたし・・・

真の教会に出会う:

28歳の時、ある黒人のゴスペルバンドがベース弾きを探していると聞いて、加わることになりました。初めて演奏した日にそれまで経験したことが無かった感情を経験しました。歌手達は強烈な希望と喜びを込めて歌いました。私より遥かに辛い人生を送っている人達なのに「どうしてこのように歌えるのでしょう?」と涙をこらえながら演奏し続け、教会に行ってでもこの喜びをもっと経験したいと決心しました。

「人の目から涙を全くぬぐいとってくださる」神、「道が無いところに道を作ってくださる」神、「栄位のところにお座り、下位の我らを見守る」神について生まれて初めて聞きました。それまでは神様が抑圧されている人達のことを庇ってくださるとか、おそらく有罪と宣告される裁判所や首になる所長の事務所へ味方として付き添って下さることなど聞いたことがありませんでした。でも、それは以前私をキリスト教に改宗させようとした人は皆白人だったからだと思います。

黒人が歌や法話で説かれていたキリスト教は正に福音だと感じました。でも、それは私自身が抑圧されていると思ったからではありません。ある程度の差別は経験していたものの、私には満足できる人生を作り出す好機はいくらでもありました。しかし、好機がなく、厳しい抑圧を負わせられている人のために神様が働いて下さるとは本当に Good Newsで、そのような神は信奉したいと思いました。

方向転換:

それから何年かは世界観の切り替えが起こり、世間の目ではなく、信仰の目で見ることを教わりました。何度も繰り返して目撃したのは、如何にもならない立場にいた人が思いも付かないところから助けが来ることでした。その挙句、神様は本当に頼りにできるお方なのだと説得されました。黒人のこの信仰こそ家財奴隷制度(人間を物質的財産として扱う制度)やジムクロー制度で被った不正、そして今でも続く虐待や暴行の中で彼らを支えている巨大な力なのです。この信仰に出会って漸く子供の頃から背負っていた絶望が解消されたのです。 

終わりに:

このサイトに提供する文章では日本の男性優越主義を酷評しますが、これは明治や大正生まれの数少ない男性との係り合いに基づいて書いていますので、日本社会全般についての意見のように述べるのは妥当でないかも知れません。日本人、日本在住の人などで異なる経験をしていらっしゃる方がいましたら、どうぞご連絡ください。返答はできないかもしれませんが、ご感想を考慮に入れて書き続けます。また、日本語の語学力を付けるために自ら英文を翻訳していますが、不自然又は不明な文章或いは間違った表現がありました場合にもどうぞお知らせ下さい。連絡はこちらです。